竹篭ペンギン

ははです。夫と一歳児ひとりと暮らしています。五十肩です。

オーブンと母のこと

今週のお題特別編「子供の頃に欲しかったもの」
〈春のブログキャンペーン 第3週〉

f:id:k40090:20150420002732j:plain

今日焼いたハッセルバック。芋は北海小金を使用。北海小金は男爵とメイクイーンの両方の特徴を持っているじゃがいもだとか。切れ目のでんぷんは洗い流したほうが焼きあがり時に開いてくれるというので、十分くらい水に晒してオーブンにセットしました。美味しい。隙間を埋めるために入れた紫芋も甘くて美味しかったです。

 

さて表題。

母が鬼籍に入ってまだ一年も経っていませんから、子供の頃に欲しかったものというフレーズを見て、ああ、今の私には重いなあと思いましたが、思い出に触れるのも故人の供養となるのかと思い直しまして、つらつらと当時を思い返しています。当時、特に大きな不満もなく日々を暮らしていたので、幸せな子供時代だったといえると思います。欲しかったものを特に要求した記憶は無く、まあ、それは、欲しかったものは強く主張しなくてもだいたい与えてもらっていたので満足していたのか、あるいはねだるのがはばかられる雰囲気だったのか(うちには金が無い、が、大人たちの口癖でしたから)。今は、どっちともだったんじゃないかな、と、思っています。お金のかかることを言うのにやたら気を使っていたような記憶ばかりなので。

 

もっとも、誰であっても、記憶なんて容易に自分の都合のいいように改竄されるものなので、私がこう思っているからといっても、本当のところ昔の私はわがまま放題に物欲を撒き散らしていたのかもしれません。結局、私が子供のうちに、それが我が家に来ることはありませんでしたから、多分、欲しいと言わなかったんだろうな言ったおぼえもないし、ということです。

 

オーブンが欲しかったんですよね。

オーブンでしか作れないもの、いろいろあるじゃないですか。それはもう、あこがれるわけですよ。おうちでケーキが焼けるなんてすごいし、グラタンが作れるなんてすごいじゃないですか。そりゃあ、自宅がレストランにも洋菓子店にも早変わりするようなもんですから、夢の家電ですよ。小麦粉と砂糖と牛乳とバターと玉子、それで洋焼き菓子ならだいたい何でも作れる。花より団子な性分の子供にとってはまさにドリーム。作るのに失敗したときの事なんか考えません、そこまで賢くはなかったので。幼い私は、母はどんな料理でも作れると思っていたフシがありまして、最初は作ってもらおう、それから一人で作れるようになろうと考えていたように思います。ホットケーキやかき氷のように。

母が揃えてくれた絵本の中でも、私が好きだった絵本TOP3のなかの一冊、「ノンタンのたんじょうび」にクッキーのレシピが乗っていて、これがまた、実に美味そうだったことも物欲に拍車をかけました。

 

食べ物がおいしそうな絵本といえばぐりとぐら、この作中に登場するカステラもなかなかのものがありますが(絵本の鉄板、ご馳走をみんなで食べる、っていう展開は何故あんなに子供心のテンションが高まるのだろうか)、どこのご自宅にもあるように私の育った家にもフライパンはあり、ホットケーキ程度なら焼くことが出来たので、カステラ欲はそれほど高まりませんでした。ぐりとぐらにはカステラのレシピがついていなかったことも関係あるかもしれませんが。

 

やっぱりね、持ってないもののほうが焦がれますね。強烈に。レシピも無いのに、カステラはいつでも焼けるなんてあなどっていたようにも思いますからね、当時の私は。特にクッキーを焼きたかったんですよね。オーブントースターでも焼けると知った時は一時期サルのようにアイスボックスクッキー焼いてましたからね。あっでもオーブンはねだれなかったけどバターはおねだりしてた憶えあるわ。価格の差か。今でこそ随分値段もこなれたけど当時は高かったもんなオーブン。手に入らないものだからこそ憧れて、欲しくなるんです。もう持っていると思っているものは適当になりがちで、例えばフライパンで焼けると思っていたぐりとぐらのカステラがそうですし、ぴんぴんしていた母の扱いもぞんざいでした。

 

もともと持っていたのに、適当に扱っておいてなくしてから欲しくなるなんて、身勝手なものです。いつもの私なら、人のさがとでもまとめてしまうところですが、そうしてしまうのも乱暴で、身勝手な話です。大切なものなら大切に扱っておかないと、このようにもやもやしたものが残るばかりで後悔すらまともにできなくなるのかもしれません。

実際のところ未だ悲しくはなく、もう一緒にお茶を飲むことも、一緒にホットケーキを焼くこともないことが残念であるばかりです。