竹篭ペンギン

ははです。夫と一歳児ひとりと暮らしています。五十肩です。

母のこと

ずいぶんと急な話で、二週間以上が経過したのにまだ現実感が湧かないのですが、交通事故で母が亡くなりました。まだ60代、あっけなくあっさりと逝ってしまいました。80くらいまで生きるだろうと何の疑問も抱かず適当に接してきたことが悔やまれますが、もうおきてしまったことですから、命というのはそもそもそういう、儚いものなのだと思って心の整理をするしかありません。

もっとも、整理するほど心が混乱しているかといえばそうではなく、先ほども言ったように現実感が無いというのが正直なところです。残された者の間でもたびたび、「まだ信じられない」「そのあたりに隠れている気がする」「夢でもみているみたい」といった話になります。ドラマのような不幸が身近に起きても、そんなにすぐには気持ちを切り替えて慟哭したりしないこともあるんですね。告別式やらなにやらでは、泣くことを期待されているかのように接されるときもありまして、戸惑うこともありました。泣いてもいいと強く何度も言われましても、泣きたい気分でもないというか、本当に急な話だったので、まだ冗談なのではないかと疑っているくらいで、むしろ泣いたら夢ではなく現実だと確定してしまうのではないかと不安がよぎることすらありました。

こういうときは泣くのがまとも、泣かないのはまともではないと思われるのなら、私にとってはつらい世の中です。

 

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写真はいただいた上用饅頭。親戚曰く、私の田舎では通夜や葬式などの死に関わる集まりでは、食べるときに音のでる、 ……つまりポリポリだとか、サクサクだとかいった、例えば煎餅やおかき、落雁などの…… お菓子はお坊さんや来客に出してはいけないそう。つまり、茶菓子として出すのは、饅頭や、羊羹や、洋菓子ですとカステラ、バウムクーヘン、そのあたりになるようです。お茶は玄米茶ではなく煎茶。作法の由来はわかりませんが、しきたりに理屈を求めるのもナンセンスというか、年寄りがそう言うならそういうものなんでしょう。こと、冠婚葬祭の細かな決まりごとというのはローカル色が強く、地域差がありすぎてネットの情報があまりあてにならないのがつらいところ。ただ、手間や人間関係をできるだけ簡素に簡素にしていく流れの昨今、菓子の種類にこだわるこのようなしきたりも、私が寿命を迎える50年後近辺には無くなっているのかもしれません。

こういった身内の不幸をブログに記すことについては賛否あることを知ってはいますが、主に食に偏っているとはいえ日常を記録することを目的としたブログであるのに、身近な人に起きた出来事について何も触れないのも違う気がして、さらりと触れておこうと思いました。


田舎のあれこれはまたなにか書くかもしれません。